2008/02/14

子どもの本だより 66号

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 子どもの本だより

                 2008/02/14     no.66
                      <発行部数 817>
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 十七世紀スペインの画家ベラスケスが描いた『侍女たち(ラス・
メニーナス)』。その中心に描かれた皇女マルガリータの肖像画を、
私はウィーン美術史美術館で見たことがあります。意志の強そうな
ブルーの瞳、やわらかく閉じられた貝殻のような唇、幼い少女のあ
どけなさと王族の娘としての気高さ――その透きとおるほどに白い
肌は、二十一歳という若さで早世した彼女の運命を暗示しているよ
うで、せつなく胸が痛みました。彼女が悲しげなのは、彼女自身の
事情なのか、あるいは描いた画家の方にその原因があるのか、現代
の私たちにそれを知る術はありません。
 しかし、どれだけの時間が流れても真の芸術は廃れることなく、
私たちに新たな謎を――むろん感動とともに――投げかけるもので
す。この物語を読みながら、改めてそんなことを考えました。
 ご挨拶が遅くなりましたが、今年も「子どもの本だより」をどう
ぞよろしくお願い致します。
                        (吉田真澄)

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『ベラスケスの十字の謎』
                 エリアセル・カンシーノ 作
                        宇野和美 訳
                          徳間書店
                    定価 1470円(税込)

 一枚の絵画を前に私たちが感じる不可思議な思い――それは、か
つて確かにこの絵の前に立ち、絵筆を振るった芸術家たちへの畏怖
の念なのでしょうか?その絵が辿ったとてつもなく長い年月を考え
るだけで身震いしてしまいそうです。日本で開催される大規模な美
術館展は常に人であふれていて、そんな感慨に耽るいとまも無いの
が不満の種ですが、それでも、一瞬で人の心を惹き付ける一枚の絵
の威力を肌で感じたくて、私たちは混んだ美術館へせっせっと足を
運ぶのかもしれません。
 物語の軸となるのは、ベラスケスが描いた『侍女たち(ラス・メ
ニーナス)』。二年前、プラド美術館が来日した際には、残念なが
らそのリストにありませんでしたが、おそらく皆さんも図版などで
一度はご覧になったことがあるはずです。奥行きを感じさせる薄暗
い画面の中には、十一人と一匹(の犬)が描かれていますが、その
中で、一人光を浴びて立つ幼い皇女の愛らしい姿が印象的な絵です。
 この有名な絵画には二つの謎があるといいます。一つは、画面の
右奥に立つ男の正体、そしてもう一つが、左端に立つベラスケス本
人の胸に描かれた十字の紋章は一体誰が書き入れたのか、というこ
とです。この十字章は、当時のスペインでは最も名誉あるとされた
サンティエゴ騎士団の紋章なのですが、ベラスケスがこの紋章をつ
けることを許されたのは、絵が完成してから三年後のことであり、
従って、十字はあとで描き加えられたものと考えてられているので
す。物語の終盤に示されるそれぞれの謎の答えには大変興味深いも
のがありますが、何より私たち読者の胸を打つのは、不幸な出自を
背負った主人公ニコラス少年が自己実現を目指して懸命に生きるそ
の姿です。
 ニコラスは、これ以上は背が伸びないとわかった七歳のとき、父
親に売られ、故郷のイタリアからスペインの宮廷に連れてこられた
少年です。スペイン王宮では、小人や黒人といった、当時は異形と
思われていたものたちを集め、道化や召使にしていました。中には
特別な才能を見出されて大きく出世し、高い地位を与えられるもの
もいたということですが、それはよほどの幸運を持ち合わせていな
ければ成し遂げられなかったことでしょう。
 その生まれ持った容姿から、常に侮蔑の対象となり、嘲笑の的と
なってきたニコラスは、絶望と不安から、宮廷にはいってすぐに、
重い病の床に就くこととなってしまいます。その時、彼を死の淵か
ら救い出したのが、一匹の瀕死の子犬でした。いいえ、殺されそう
になっている子犬を命がけで助けたのがニコラスだったのですが、
この出来事は、ニコラスの生きる力となって結実したのです。自分
より弱く儚い命を救ったとき、救った者こそが自らの生を実感する
というモチーフは、多くの物語の中で使われていますが、やはりこ
こでも、ニコラスの今後を運命づける重要な場面として描かれます。


  小さなマスティフ犬をぎゅうっと抱きしめると、
  「ぼくは生きてるんだ」という実感がこみあげて
  きた。
  ぼくは子犬にモーセと名をつけた。聖書のモーセ
  と同じように、おぼれそうになりながら、すんで
  のところで助かったからだ。


 生まれたばかりのマスティフ犬を、自らの命も省みず救ったニコ
ラスは、この地で生き抜くことを硬く心に誓います。生を全うする
ことも危うい瞬間でさえ、消えかかった小さな別の命を救おうとす
る――その本能が、救った側の人間の命をも繋ぎとめることとなっ
たのでした。
 その後のニコラスは、差別からくる様々な困難に、持ち前の知恵
をもって対抗していきます。その助けとなったのが、彼を一人前の
男として扱ってくれる善意ある人々の存在でした。船旅で出会った
頼もしい小人アセド、ニコラスの能力をいち早く見抜いたアロンソ
先生、そして、『侍女たち』の制作に取り掛かったばかりの画家ベ
ラスケス。後に「お義父さん」と呼び慕うようになるアセドから伝
えられた言葉「知恵をたくわえ、ほかの者には見えないものを見、
きこえないものをきき、いつでも自分を信じていれば、人生は切り
開ける」は、苦境から彼を助ける心の糧ともなったのでした。
 ベラスケスは、ニコラスのような(異形と呼ばれた)ものたちが
唯一頼りにできる存在として語られていますが、実存する彼の肖像
画の中には、小人や道化を描いた作品が多く残されていますので、
両者の間には、物語にあるような交流が実際に少なからずあったの
かもしれません。ニコラスも、愛犬となったモーセと共に、『侍女
たち』の中に描かれることとなったのでした。
 後半、物語は、その偉大なる芸術家ベラスケスの苦闘を描き出し
ます。作品に自分の全てをつぎ込み、魂までも失う覚悟で一枚の絵
画と格闘するベラスケスは、鬼気迫る存在感で読者を圧倒します。
彼の苦悩は、自分の作品の中に過去や未来を感じさせる「永遠の時
間」を描きこみたいという一心から発せられるものですが、およそ
四百年を経て、彼の絵画を鑑賞する私たちは、そこに確かに“悠久
の時”を感じ得るはずです。時代を超えて生き続ける芸術作品の極
意を語るには充分なエピソードといえます。
 巻末には、絵に描かれた人物を指し示しながら、物語の登場人物
が丁寧に紹介されていて、そのことからも、ほとんどの登場人物が
実在したのだということがわかります。おそらく作者による想像も
交えたこれらの人物像は、その思惑まで明瞭に個性を持って見事に
描き分けられ、幻想的な手法を帯びる物語の後半部分を土台となっ
て支えています。
 全篇を通して漂う禍々しさ――富と権力を存分に持ち合わせた王
族の生活、それを取り巻く貴族の術策、才能ある芸術家には惜しみ
なく財と地位を与え、翻って、異形に生まれついたものを、残酷に
も見世物や奴隷として扱う――は、物語に独特な深さと艶を与えて
います。善か悪か、正か邪か、全てが暗澹として不明朗なのは、こ
の時代特有のものでもあるでしょうか。
 一枚の名画に具わった、時間も空間も越えた旅へと私たちを誘う
力。四百年も前に描かれた絵の謎が、一編の上質なファンタジーと
なって現代の私たちを楽しませ、夢のようなひと時を与えてくれる
のです。それは、このミステリアスな物語と同じくらい不思議なこ
とかもしれません。


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(編集後記)
 2008年今年初めての発行になります。楽しみにされていた方、お
待たせして申し訳ありません。
 今後も若干不定期になるかもしれませんが、心をこめた読書案内
をお届けしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 「楽しみの質をみきわめた読書」も、絵本の店「星の子」さんで
少しずつ広がっていっているようで、年末3回目の増刷をしました。
上記の案内ページから注文もできますし、「星の子」さんでも常備
しています。これからも本選びの参考にしていただければと思いま
す。
                         (さかな)
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